R-GROUP の現段階
2004.12
目指すべき姿と今の現状との間にあるものを探り、われわれがどこまで到達したのかをはっきりさせ、高級ソープランドとしての完成度(東海地区における覇権)を見極めるための総括と展望 ■はじめに 激動の一年というにふさわしい 2004 年が暮れようとしている。今年も実にいろいろな出来事があった。この1年間の取り組み、そしてわれわれが R-GROUP として高級店の立ち上げを開始して以来の数年間を振り返り、来るべき新年に向かって、さらに万全の体制を作り上げていくのでなければならない。まずそのための作業として、 2004 年までの取り組みを総括し、 2005 年をどのようにつくっていくのか、その具体的方針を 明らかにしたいと思う。 2002 年のホームページ 立ち上げの際に、われわれは、こう記した。 私どもの原点は、最高の贅沢と満足感をお客様に感じていただくための高級店をつくるという点にあります。数年前、岐阜・金津園に、その真の意味での高級店をつくりあげるべく取り組みを開始して以来、今日までにクラブロイヤル・ルネッサンス・ラブティファニーの三店舗を立ち上げ、それぞれの営業を通じて、ソープランドのあるべき姿を皆様に問うて参りました。 戦後最悪の不況、デフレの時代といわれ、すべてものが安売りの対象とされるなかで、風俗業でさえも、現在、安売りと切り売りの掛け声に飲み込まれつつあります。そんな時代に、高級店を模索し始めた私どもの取り組みは、一見、時代に逆行するものと映るかも知れません。しかしながら、そのような時代であればこそ逆に、真に価値あるサービスは普遍性を持つものであり、本物は時代を超えてお客様の心をつかむものだと、私どもは確信したのです。 この私どもの確信を現実のものとするために、全てのお客様にいくつかのお約束をしたいと思います。 1 まず、何よりも、女子スタッフ(ホステス)の質およびサービス内容の向上に、全身全霊をかけて取り組みます。女子スタッフは、お客様に尽くしぬくことを自らの喜びとし、また仕事をつうじて自らの人間的成長をもかちとって参ります。 2 同じく、男子スタッフ(ボーイ)の接客マナーの向上に、日々取り組んで参ります。男子スタッフは、お客様とホステスをつなぐかけ橋として、清潔・誠実をむねとし、高級店に相応しい品格を維持するよう努めます。 3 ソープランドという遊び場と、そこに勤めるもの全体の社会的地位向上に、努めて参ります。風俗業を、特殊な「日陰産業」というイメージから解き放ち、サービス業一般としての社会的承認をかちとり、社会に開かれた職場となるよう、自信と誇りを持って努力して参ります。 自らのなしうる最高の仕事を日々積み重ねながら、「東海地区最高峰」という巨大な山に一歩ずつ昇りつめていくこと、それが私どもの決意であり、夢でもあります。 皆様の、ご愛顧・ご支援を衷心よりお願い申し上げます。 これが当時のわれわれの、偽らざる決意であった。ホステスの質とサービス内容の向上、男子の接客マナーの向上、そして、風俗業そのものの社会的地位向上の3つを掲げ、「東海地区最高峰」の名を不動のものにしたい、それがわれわれの決意であった。旧態依然とした風俗業のあり方とはきっぱりと訣別し、従業員の成長とグループのビジネス的な発展を展望し、独自の路線を進むことを決意したのである。この路線の正しさをあらためて明らかにすると同時に、その今日的な到達点を探っていきたいと思う。 ■ 2004 年までの総括 ■各店舗の前進と到達度。ホステスの質と量(省略) ■ホステスのサービス内容 ホステスのサービス内容に関しては、この際そのレベルチェックも含めて、検討課題としたい。共通の内容として最低限確認できているのは、 ・即尺・即ベッドであること ・ノースキンであること ・ 3 回戦であること この3つくらいであって、たとえばマットの具体的内容や椅子ローション、後舐め・マッサージの有無・挨拶の丁寧さ、部屋に入ってからサービスに移行するまでの時間などは、各店舗=各ホステスの恣意的な判断にまかされている状態である。この点、高級店の共通したサービス内容について、いわゆる艶グループのいう「仕事」のレベルとの対抗もふくめて考え直していかなければならない。これは、恋人ムードという言葉をハードなサービスからの「逃げ口上」としないためにも、絶対的に必要な課題である。 高級店と大衆店 そもそも、高級店と大衆店のサービスの差は、生であるかゴムであるかという点にあるのではない。大衆店でも生で接客するホステスは多数いるし、関東ではたとえばトゥルースグループのように 8 万 9 万クラスの高級店でも完全ゴム受けの店がある。また、吉原の高級店では、ゴム受けのホステスと生受けのホステスが混在しているのが通例である。 では、高級店と大衆店を決定的に分かつ差とは何か。 結論的にいうならば、それは徹底的なプロ意識と献身性に裏打ちされた隙のないサービスということではないかと考える。そして、それが極上のホステスによってもたらされることの満足感ということではないか。つまり、まず容姿において高級感にあふれたグレードの高い女性による、一心不乱な献身的なサービスこそ、高級店の醍醐味なのだといってよい。 したがって、とくにロイヤル・ルネッサンスにおいては、とくにホステスのグレード=【容姿】という点で非妥協的な選別が必要である。客側にとってみれば、まずもって払った金額に見合うグレードのホステスが出て来て当然であり、店側にとってみれば、お客様から「 7 万払ってこの程度か」と思われることは絶対にできないということなのである。 最高級店であることの意味を、まずもってこのホステスのグレード=【容姿】に求めるという考え方をこの際、しっかりと確立しておきたい と思う。これは、いわゆるサービス内容の良さによる実力(指名獲得)という側面を一概に排除するものではないが、最高級店においては、まず第一義的にグレード=【容姿】が問われるのだということをはっきりさせておきたい。 サービスの具体的内容 次に、そのグレードの高いホステスによる献身的なサービス内容の課題である。 R-GROUP のサービス内容といったときに、一般的に言われもし、またわれわれ自身も課題としている、いわゆる「恋人ムード」がある。 恋人ムードとはなにか。また、恋人ムードを重視する考え方はどこから来たのか。 もともと恋人ムードとは、いわゆる「ヌキ」の仕事に対するアンチテーゼ、艶グループ(具体的にはユキ)の仕事に対するものとしてとして考えられたものである。そして、同時にそれが「癒し・リラクゼーション」( 注 )といったわれわれの目指す方向性にマッチしているということでもある。 艶グループの仕事をひとことで言うと、通例いわれる「とにかく抜いて抜いて抜きまくれ」とか「○○から手を離すな」とか「とにかく声を出せ」といった類の、射精そのものを目的としたハードなサービスということになる。 5 回でも 6 回でも抜けるものなら抜け、といった具合である。そのためには、下はなるべく痛めないように使う時間を短くして、手と口を多用せよということになる。また、「足つぼ」に代表されるエロス的世界とは無縁の屈服的なプレイ、ピンクチェアを使った女性上位の徹底的な攻めなど、「こすればイク」といわんばかりの攻撃的プレイのオンパレードである。こういう類のサービスをもって長年、ユーザーをして「(自称)仕事の艶グループ」とか「(自称)日本一のユキさん」などと言わしめてきたわけである。 しかしこのようなサービスのあり方は、実は、もっとも肝心な「性の本質」から遠ざかる道なのではないかと思う。われわれは、性を商品とし、性を売る以上、当然のことながらその性そのものに関して誰よりも知悉=熟達し、その性の本質=深淵にもっとも肉迫しなければならない。 その立場に立って考えたとき、性の本質は、行き着くところやはり「愛情」なのである。 愛情によって献身性が生まれ、エロティックな性の世界も結局は相手に対する愛情を媒介として成り立つものである。したがって、サービスの具体的内容には、この「お客様=一人の男性に対する愛情」とう契機が徹頭徹尾貫かれるべきであると思う。「恋人ムード」を根幹において支えるものもまた、このお客様に対する愛情なのである。ここがはっきりしていれば、一切のサービスは、真にエロスに満ちた内容になっていくのである。逆に瑣末な技術論は邪魔になっていくともいえる。 これまで、どこの店においても講習でサービスにおける「愛情」の大切さを重点的に教えてきたところはなかったと思う。むしろ、技術指導までもいかない、“手順指導 ” に終わっているというのが実情ではないか。即ベッドの手順、椅子洗いの手順、マットの手順・・・、こうした、いわば“説明”の類を「講習」と呼び習わしてきたのである。しかし、実際に指名をとっているホステスが例外なく愛情に満ちた個性であることに今一度あらためて思いを致すとき、指導し伝え、作っていかなければならないホステスの接客内容の柱は、いかに愛情をもって接するかという点であることは、明らかではないだろうか。 このことに、早く気がつくべきである。 学校教育における性教育がじっさいには「性器教育」になっているという批判の言いたいところは、性教育の本質は、愛と性愛の理解にあるのであって、性器の形状やしくみを理解することにあるのではないということなのだ。技術=形式ではなく本質を、手順ではなく人間に対する愛情を教える「講習」は、ある意味、ホステスに対する性教育そのものなのだといってよい。この「講習」=ホステスに対する性教育という考え方を柱にすえつつ、今後の講習内容の豊富化のために、さらに努力していかなければならない。 われわれは今、「仕事の艶グループ」の凋落は、性の本質からの逃避に最大の原因があると考えている。とするならば、われわれこそがもっとも「性の本質」に近づき、そこから商品化すべき課題を練り上げていくのでなければならない。サービスにおける「愛情」をひとつの課題とすることは、今日的なわれわれの到達点である。 ( 注 )周知の通り、疲弊した現代日本社会のキーワードのひとつは「癒し」である。乱暴な言い方、週刊誌的な言い方をするなら、サラリーマンは、みな疲れている。男性も女性も、労働者もエグゼクティブも、等しくみな疲れてしまっている。だからこれほどまでに、街中にマッサージ店があふれ出したのだといえる。最近では昔からのアンマ・マッサージに加え、足つぼマッサージやタイ式マッサージなどの異色の専門店も増えてきた。都心の超高級ホテルは、地方からの出張族の宿泊所としてではなく、都会人のひとときの癒しの場所として機能しつつある。風俗の世界に目を向ければ、韓国マッサージ店の興隆、ひとむかしでは考えられなかった「添い寝」を商品とする風俗まで出てきた。 これはいったい何を意味しているのか? 疲れを癒し、満ち足りた気分にさせてくれる何物かを客側が求めはじめているのではないかということである。ここに、癒しをひとつのキーワードとする風俗の可能性が示唆されていると考えるわけだ。ただ、何事も行き過ぎは禁物である。風俗に期待する肝心な性的サービスをスポイルした名古屋の「添い寝」専門店は、結局失敗に終わった。岐阜にも「ヒーリング・セラピー」という名のマンション型ヘルスが出現したが、結局半年もたずして消えたという現実がある。「癒し」はあくまでも具体的人格との間で交わされる魂の交換、つまり「受け手の感性」ということであって、売る側の押し付けではありえない、つまりそれそのものを商品として売り出すことはできないということなのではないか。つまり、それを「癒し」と感じるか否かは、受け取る客側によって違うということである。また、たとえ「癒し」そのものが存在したとして、それに対価を支払う価値観は、消費者には、まだないということではないか。この点、風俗に携わるものとして、くれぐれも先読みのし過ぎは禁物と考える。 ■イベントに関して 昨年からはじめたイベントは、硬直した日々の営業へのカンフル剤としてすばらしい効果を発揮したといえる。とりわけ、ティファニーのイベントは 35000 円という値段設定もあり、朝から客が列をなすという爆発的な集客を実現することができた。この集客力は、昨今の景気に照らし合わせて奇跡的ともいえるものであり、結果として、金津園全体の耳目をひくものとなった。また、割引することで単価が落ちてなお売り上げは増大したのであって、ティファニーのメンバー増加とともに、店舗立ち上げに対する貢献度は、強調しすぎてもしすぎることのないくらい、その効果は大きかったといえる。この時期に「イベント」という営業案を打ち出したことそのものの成功と総括したい。 一方、ルネッサンス・ロイヤルの割引イベントは、客数がやや増えたにとどまった。むしろイベント当日も指名での来店が多く、安価なフリー狙いの来店は、期待したほど望めなかった。結局これは、客層の違いを意味するものであり、ロイヤル・ルネッサンスの客層は、要するに「割引を魅力と感じる客層」ではないということだ。したがって割引イベントはさほど効果がなかったのである。この点を早めに見抜いて、コスプレイベント、パーティーイベントなどの意匠をこらしたイベントに切り替えていったことは、賢明であった。また、パーティーイベントからの連想で、待合室を一流ホテルのクラブフロアー形式にしたことは、高級店の店作りのひとつの積極案となった。 ティファニーのイベント成功に目をつけた他店舗が、二匹目のドジョウを狙ってイベントをやり始め、一時期金津園は「イベント流行り」になったことがある。しかし、結局どこも大した成果をあげられなかったと聞く。逆にイベント時にホステスの手取りを下げるなどの姑息な手段を用いたことで、店の懐の狭さを自己暴露したにすぎない。われわれは、ホステスのやる気を引き出すことで、同時に店全体の活性化も図っていきたいと考えている。 |