圧倒的な新人入店率を誇ってきた金津園R-GROUP。「いったいどこから集めてくるのか」と他店から不思議がられるほどだが、高級店ならではの難しさもあるという。今後の展開はどうなるのか。

R-GROUPのこれからについて丹羽統括に聞いた。
全国をターゲットにした「お稼ぎツアー」の成功から今日に至るまでの成功の秘訣とR-GROUPの展望、とりわけ今夏今秋のゆくえについて語ってもらった。

(聞き手:事務局)

そもそもR-GROUPの「短期お稼ぎツアー」というのは、いつごろから始まったのですか?
丹羽:2004年の春頃でしょうか。ちょうど10年ほど前のことです。
それまでは、たとえば金津園であれば他店からの移籍とか、岐阜市内に住んでいるまったくの素人さんがたまに応募してくるとか、あるいはこれも本当にたまにですが、吉原あたりから応募してくる人がいるくらいでした。
でも、ほとんどは「金津園内での移籍」が多かったと思います。「前はどこの店にいました」という方が多く、またそうした移動も頻繁にあるわけではありませんので、3ヶ月に1人も応募がないというときも珍しくありませんでした。
それでは新人も入店しませんし、在籍数も増えないのでは?
丹羽:その通りです。
でも、当時はいったん入店すると、1年2年と長期で働く人が多かったのですね。また、比較的出勤日数も多かった。キャストさんをA班B班に分けて、それぞれのグループが月15日ずつ出勤するというやり方もありました。
少数精鋭ではありませんが、長く勤めているキャストさんたちが店長を中心に家族的に頑張っている、そんな雰囲気だったと思います。
また、ソープランドに勤めているキャストさんたちはほとんどがそれ一本のプロで、他に仕事を持っていたり学生だったりという子も少なかったと思います。それだけ出勤日数も多く、稼働時間も長かったのです。
慢性的な人手不足ではありましたが、それはそれで良かった時代だと思います。
そうしたあり方は、いつごろから変わっていったのですか?
丹羽:社会的な背景も含めてのことですからはっきりとしたことは言えませんが、ソープランド以外にヘルスなどのライトな風俗が増えて、風俗業に入ってくるキャストさんが増えてきたころから、「プロ一本」ではなく「アルバイト」的な勤務形態も増えていったのではないでしょうか。
それでもライトな風俗とは違ってソープ嬢の人手不足は、相変わらず続いていたのです。
そうした「人手不足」をどのように変えていこうとしたのですか?
丹羽:これまでの求人のあり方を根本的に変革しようとしたのです。
それまでは、明文化していたわけではありませんが、業界では
■レギュラー・長期で働けるプロ
■近隣からの応募
を暗黙の了解にしていました。というより、それより他に応募ルートがなかったのですね。これを根本的に変えて、
■短期や期間限定でも働くことができる
■全国どこからでも応募できる(出張面接と旅費支給のツアー形式)
にするとしました。
応募の入り口というか間口を、圧倒的に広げたわけです。
それが「短期お稼ぎツアー」のはじまりだったのですね。
丹羽:そうです。これが全国の非常に多くのキャストさんたちから受け入れられ、応募数が爆発的に増えていったのです。