プロデュースとは、ウィキペディアによれば、(produce、本来の意味は、産出する、生産する、制作する)ということになる。
まず最初に確認しておきたいことは、プロデュースするとかしないとかの前に、プロデューサーである自分の中に、ソープランドのサービス論や、ソープ嬢はこうあるべきだという信念=【ソープランド論】がなかったらだめだということだ。
同様にソープの接客とはかくあるべきだというしっかりしたものがなければ、それを指導することもできないし、その中身の素晴らしさをお客様に伝えることもできない。
だから、店長は自らソープランドのサービスを実践するべきなのだということである。
その子が持っているさまざまな資質のなかで、とくに顧客ニーズに合致する部分を引き出し、それを表現し、伝えることを通して、具体的に顧客開拓をするということ。WEBを見ている人のなかから、具体的な予約電話を取り付けること。プロデュースの核心はそこにある。
・・・高部知子は、欽ドンわらべの他の2人とともに、ご家庭向けキャラを演じさせられていた。本当は男遊びもやんちゃもしたい普通の女の子だったのに、お茶の間の好感度が最優先され、それに合わせられていたわけだ。だから、“ニャンニャン写真”が出回ったというただそれだけのことで、再起不能なまでの打撃を受けることになった。欽ちゃんのプロデュースは、キャラ設定に無理があったわけだ。
一方で、AV出身であることを隠さずあけっぴろげなキャラで売った飯島愛は、その出自にもかかわらず、引退まで受け入れられ、あまつさえ若い女の子たちのある種のカリスマになった。お茶の間でさえ「AV出身とかっていうけど、飯島愛って、もともとそういうキャラだからいいんじゃないか?」という理解になる。
郷ひろみ-神田正輝-イケメン歯科医と、男を次々乗り換える松田聖子は、奔放な遊女というイメージにはならず、男に束縛されない自立した女「強い聖子ママ」という捕らえ方で世の女性たちの憧れとなった。一方、中森明菜はマッチに振られて激ヤセし、そこから立ち直れず、頼みの女性ファンからさえ逃げられた。いわば「幸薄い女」を“自己プロデュース”してしまったわけである。
人間的感性の本質は自己対象化にある・・・という考え方がある。
人気のいない遊園地に淋しさを感じるのも、冬の海に悲しみを感じるのも、そこに淋しく悲しい自分の姿を見てとるからである。
聖子の図太さに、多くの女性はたくましく生きる女の強さを見てとり、同時にそういうふうに強く生きたい自分の希望の姿を見てとっていたということだろう。
写真だけで売れる女の子がいる。
写真だけでは売れないから文章によって魅力を伝えるというプロデュースが成り立つ。
いま、行なわれている文章によるプロデュースには、その本人のよさや内容とはまったく関係のないありきたりの決まり文句の羅列になっている例がある。
その子のプロデュースになっていない。
だから、内実とはかけ離れた内容になっている。
その子自身をよく研究していない。見ていない。
表現が貧しい。
そもそも書いている本人が感動していない。
あまつさえ、WEB上から拾い集めた言葉をそのままコピー・ペーストするなどということが行なわれている。デリヘル店のホームページからそのまま丸ごと剽窃してくる例すらある。業界人としての矜持を疑わざるをえない。才能とか、書ける書けないの問題ではない。自覚とプライドの問題である。自らのビジネスを地に落とす行為であり、仕事に対する冒涜以外の何ものでもない。
プロデュースの一定の地平、つまり評判が立ち、売れるという状況が自立化していくためには、継続した取り組みが必要である。
しかるに、現状ではデビュー時のコメントがそのまま半年、1年と使用されている。なぜ、その後のアンケート内容を反映するような売出し=再売り出しをしないのか?・・・たとえていえばそういうことである。
求められているのは、理論(仮説)と実践の繰り返しの展開ということだ。つまり、
こういう売り方でいけばPが鳴るであろう(ニーズとのマッチングについての仮説)
→撮影・修正・コピーを書く・デビューをプロデュースする(実践)
→実際の結果。Pが鳴る鳴らないの結果(検証)。
仮説どおりの結果がでれば、その仮説は実践的に検証されたということだ。結果が出なければその仮説が間違っていた(ニーズとマッチングしていない)ということになる。したがって直ちに別の仮説をたて実践する取り組みが絶対に必要なのだ。これをやらないのはプロデュースに対するまったくの無理解か、あるいは怠慢というほかない。
自らのプロデュースによって、キャストに日が当たるというのは、素直に嬉しいものだ。こうした喜びを自らの喜びとしないで、なにを励みに仕事をするというのか?・・・ということである。
店長はそれ自身自立したプロデューサーであるべきである。プロデュース能力は、WEB時代の今、あるいは店長にもっとも求められている資質である。
路上が戦場であるような呼び込みの時代は、すでに10年前に終了した。現在、熾烈に戦われているのは、いわばWEB上での客引き合戦であり、その雌雄を決するのは、撮影・写真加工・コピーライティングとその配信をはじめとしたWEBプロデュース力に他ならない。さらに自らある程度のホームページを作る力、WEBの森を渉猟し効果的なリンクを貼る力、そうじてWEBという戦場を広く観る力である。
こうした能力を他力本願で業者への外注に求めることもできるだろう。また、あらゆる経営者に求められる資質と同様に、店長は万能である必要はなく、むしろ自分よりも能力・技術のある者を使い切る能力こそが必要とされているという考え方もあろう。そしてそれは一定の真理を含んでいるということも事実だ。実際ある面においては、今日的にもそれは正しい。経営的立場にある長は、そうした能力を如何なく発揮して、組織を自分個人の能力を超えた組織的総合力において運営していく必要がある。
しかしその一方で、そうした「他力を使う力」だけではすでに追いつかないスピードを、時代がわれわれに要請しているというのもまた、事実なのである。たとえばその例として艶グループのホームページを見てみよう。
大阪の業者に発注したそのホームページは、Flashなどを多用し意匠をこらしたデザインになってはいるが、一番肝心なキャスト情報があまりにも貧弱であり、かつ顧客がもっとも見たい出勤情報などに関してもまったくカバーしていない内容になっている。あるいはまた、新人がデビューしても、その写真・情報がホームページに直ちに反映されず、ひどい場合には2ヶ月も掲載されないまま放置されている例もあった(そのことに業を煮やしたキャストが面接に来たこともある)。機動力が著しく欠如しているということである。これは、WEB戦争そのものに対する無理解を表現しているのではないのか?
キャストの動画をWEB上どこかの動画サイトにアップしたのはいいが、そのURLが公式ホームページにリンクされない。リンクの仕方が分からないから放置する。業者に頼んでもなかなかやってもらえないから、時間がどんどん過ぎていく。HTMLがある程度書け、FTPが操作できればすぐにできることなのに、それをしようとしない。一方、現場で簡単にできるであろう金津園ワールドなどのポータルサイトにも発表されない。アクセスに対する恐るべき無関心ということではないのか?
つまり、艶グループのホームページ戦略の敗北的現実が示していることは、WEBとその宣伝に関して、ある程度の知識と技術を自ら持っているのでなければ、核心を突く宣伝戦に参戦することすらできなくなるということなのである。戦争にたとえていうなら、戦場の地形・天候・敵の数,装備・自軍の装備とその操作方法に、指揮官みずから熟知しているのでなければ、戦略・戦術すら立てようがないということだ。戦争においては、指揮官自身が同時に技官であり、専門家であるべきだということである。
今当たり前のようにわれわれの前にあるリアルタイム情報などの情報開示についても、インターネットのもつ【リアルタイム】性についての理解がなければ、出てこないアイデアであり、技術と知識があってはじめて発想できた戦術である。もしわれわれがパソコンを使えず、インターネットについての理解を勉強しなかったとしら、今日のネット戦略そのものが、そもそもありえなかったのである。
リアルタイム情報について考え始めた時期というのは、現場で簡単なホームページをつくったりメールマガジンを打つことが出来るようになった2004年の末から2005年の初めにかけてである。
・・・ただ、具体的にどうすればよいかについては、ローカルサイトとリモートサイト、FTPを使ったアップロードという仕組みを理解し、Dreamweaverなどの各種ソフトを我が物にして初めて認識の俎上にあがってきたといえるのである。つまり、簡単なものではあれホームページを自分でつくってアップロードすることが出来るようになって初めてニーズとの絡みも理解できたということである。(風俗業界におけるイノベーション/R-GROUP男子WEB MEETING)
ひとつの結論として、2005年以降、風俗をめぐる顧客獲得=再獲得戦はWEBを戦場とする状況に100%移行したということであり、店長=店舗責任者は、自身がWEBの専門家であるべきだということである。ここからの逃避、日和見主義は、敗北以外にはない。
■ プロデュースについては、キャスト個人のキャラクターとニーズのマッチングに注意を払うことである。
■ 容姿のよさだけを強調する内容がおおい。一方で性格的な魅力、また性的な魅力を詳細に伝える努力が必要である。
■ 高学歴者は、とくに高級店においては、それ自身がニーズになることを理解すべきである。(顧客が高学歴者であることが多く、そうした人は同様の高学歴者に対して強いシンパシーをもつ。この業界でそういう存在に出会えること自体が貴重なことだと感じている。キャストに対して「知的レベルをあげること」などと悪罵を投げつける人に限って知性派への憧憬の念が強い=つまり、決定的なシーズとなる。)舞風じゅん・樺早紀子の例。
■ TVタレント・AVタレントのプロデュースにもヒントがある。