接客とサービスの追求
われわれが意識の中心軸におくべきもの
われわれが意識の中心軸におくべきもの
重要【R-GROUP事務局通達2013.2.4】
このかん、お客様からいくつかのクレームをいただいた。また、現場において気づく点もあった。
すべての男子スタッフ、とりわけフロント担当者が日々心に留めておくべき中心的な課題について、あらためて考えてみた。
フロント担当者の課題は、営業面・組織面など多岐にわたるが、とりわけお客様との関係においては、結局のところ次の2点に凝縮されるのではないかと思う。
当たり前の話だが、当たり前の話をくりかえしやっておきたい。
1. 接客・ホスピタリティを追求する
接客を生業とする者の一般的課題として、自らを含む所属店舗の接客レベルおよびホスピタリティの向上を追求し、同時にそれを通していっそうの顧客満足を追求すること。
平たく言えば、どうしたらお客様に満足していただけるかを常に考え、行動すること。それを自らの行動原理とすること。
ホテル・レストランなどにおいてとりわけ実践されているホスピタリティの社会的今日的な到達地平を学び、それを自家薬籠中の物とすること。
2. ソープランドサービスそのものを追求する
同じ接客業でも、とりわけソープランドに従事する者として、ソープランドの歴史と現状に踏まえ、ヘルス・デリヘルなどの他業種とは一線を画する風俗業の頂点に位置する高級ソープランドの本質を追求すること。
ソープランド人として生きること、あるいはソープランド人になりきること。
グループ責任者およびフロント担当者は、まずはこの2点をしっかりと心の中心軸において頑張ることがなによりも大切だと、私は思う。
1の接客・ホスピタリティを追求するという課題はあらゆる客商売の共通項であり、2の課題はそれぞれの職種に独自の課題といえる。たとえばわれわれにおいては、ソープランドというサービス商品を不断に研究しつつ、ニーズに応じた改良に日々情熱を傾けることが、とりわけても必要になってくる。ソープランドの代名詞といわれるマットプレイそのものが、アプリオリに存在していたわけではなく、トルコサービスの改良と工夫の結果としてうまれてきたものだということに思いを致すならば、「ソープランドサービスを追求する」課題を自らのものとしないところに進歩もないということもまた、容易に理解されるだろう。
■接客人になりきること
これまで、接客現場のクレド(信条)をあれこれ討議したり、接客のマニュアルを求めてみたり、いやマニュアルではなく心の羅針盤が大切なんだと考えてみたり、いろいろな方法を考えながら、われわれ自身の接客のあり方を追求してきた。
高級ホテル、たとえばリッツカールトンに自ら行ってみてそのホスピタリティを学べとか、全国の高級ソープをひととおり回って他流試合せよとか、いろいろ言ってきたわけだが、結局のところ現場で接客にあたる人間の心のなかに
「自分は接客人なんだ」
「いかにしてお客様によろこんでいただくかを日々追求することが、自分の仕事なんだ」
という強烈な意識がモクモクと沸き上がっているのでなければ、どのような他流試合も経験として昇華されることがない。つまり「意味がない」。
私がみなさんにお願いしたいことは、自分のパーソナリティを「接客人」というところにとことんアイデンティファイしてもらいたいということです。
お客様を見ればサッと笑顔が出る。電話に出れば自然と笑みがこぼれ、声がワントーンあがる。
あなたに会えてうれしい!というアピールが自然とできる。
よくぞお越しいただいた!という気持ちが、仕事の表現としてではなく、人格そのものにまで高まっている。
接客の魂が人格化している=つまり接客人になりきっている。
そういう心棒が個性のなかに力強く屹立していれば、このかんのクレームや問題はありえなかったことである。
まことに、プロへの道は迂遠ということなのだが、何もそれは接客人にかぎらない。自分自身を深く深く掘ってプロ意識という金脈を掘り当てるまでは、どのような仕事もアマチュアリズムにまみれた失敗と敗北の連続である。
お客様に喜んでもらえなかった悔しさ・口惜しさ・情けなさに涙する。そういう感性こそ、導きの糸だといえるだろう。
■ソープ人になりきること
われわれはソープ人である。ソープランド人「ソープ嬢」である。昔風の言い方をすれば「トルコ人」「トルコ嬢」である。
また、キャストには「ソープ嬢になりきれ!」と訴えている。
■「ソープ嬢」になりきる
しかし、私達が一貫して訴えているのは、堂々と「私はソープ嬢だ」と言い切れということ、つまりソープ嬢であることにまずは誇りを持てということであり、同時にそのためにも誇り高くソープ嬢になりきれということです。 短期勤務であれ、長期勤務であれ、あるいは臨時の勤務であれ、勤務してお客様の前に出る以上はプロ意識をもった「ソープ嬢」であれ、ということです。
もともとソープ嬢は、女性であることそのものを武器とする仕事であり、マットやベッドやさまざまな献身的なサービスを通じて女性であることそのものを追求していく、いわば「愛情と献身」でカネを稼ぐ仕事です。またソープ嬢というお仕事は、接客人としての礼儀礼節にはじまり、豊富な話題で会話できる能力のほか、個室内で献身的にお世話することができる能力などさまざまな能力が問われる、いわば女性としてのトータルな能力が問われる仕事でもあります。
だからこそわれわれは、「ソープ嬢として一流であるということは、ひとりの女性として一流であるということだ」と考えるのです。
PC版求人ホームページ「誇りあるソープ嬢という選択」
https://recruit.r-group.jp/pc/policy.html
キャストに対して「ソープ嬢になりきれ!」と声高に指導しているわれわれ男子が、ソープ仕事を片手間のものと考えていたとしたら、ソープサービスを指導などできるわけがない。しかし、私達が一貫して訴えているのは、堂々と「私はソープ嬢だ」と言い切れということ、つまりソープ嬢であることにまずは誇りを持てということであり、同時にそのためにも誇り高くソープ嬢になりきれということです。 短期勤務であれ、長期勤務であれ、あるいは臨時の勤務であれ、勤務してお客様の前に出る以上はプロ意識をもった「ソープ嬢」であれ、ということです。
もともとソープ嬢は、女性であることそのものを武器とする仕事であり、マットやベッドやさまざまな献身的なサービスを通じて女性であることそのものを追求していく、いわば「愛情と献身」でカネを稼ぐ仕事です。またソープ嬢というお仕事は、接客人としての礼儀礼節にはじまり、豊富な話題で会話できる能力のほか、個室内で献身的にお世話することができる能力などさまざまな能力が問われる、いわば女性としてのトータルな能力が問われる仕事でもあります。
だからこそわれわれは、「ソープ嬢として一流であるということは、ひとりの女性として一流であるということだ」と考えるのです。
PC版求人ホームページ「誇りあるソープ嬢という選択」
https://recruit.r-group.jp/pc/policy.html
もちろん、それぞれの人生観や人生設計があるだろうし、あって当たり前であってそれを否定するつもりなどまったくない。しかし少なくとも、現場に立っているかぎりにおいて自分の織りなす仕事が全人格を投入したものになっているのでなければ、いったい誰がそこに意気を感じ、その人間の言葉を自らの指針とするであろうか。
とりわけフロントに座る者は、一切のアマチュアリズムから脱し、自らをソープ人としてうち鍛えることを、心に決めてもらいたいのである。
ソープ人になりきれ!・・いっさいの指導原理はここに行き着くのだと言ってよい。なぜなら、われわれはソープ人いがいの何者でもないからである。
ソープに燃えろ!・・ソープランドのサービスがすばらしいものであり、ソープランドのサービスこそが顧客に最高の満足度をもたらすものであることの確信に燃えて、ソープで遊べ。男子の仕事、女子の仕事、それぞれを学び尽くし、批判的に摂取し、自らの経験値をあげよ。
接客人になりきる。ソープ人になりきる。
ここが、いっさいの出発点である。
もう一度確認しておこう。
われわれは接客人として、お客様にどうしたらよろこんでいただけるかを日々追求する。
われわれはソープ人として、ソープサービスにおいて可能な発展と深化をつねに追求する。
スタッフ諸賢の奮起奮闘を心から期待したい。
2013.2.4
R-GROUP事務局
※なお、2つの視点は、どうしたら集客できるかという技術論とは別次元の話です。